「それ妻」と「朝山家」はなぜ同じ?足立紳が2作品で描いた人生の裏側

2025年前半、ドラマファンの間で密かに話題になったのが
『それでも俺は、妻としたい』と『こんばんは、朝山家です。』の“そっくりすぎる問題”。
キャラ設定や家族構成、息子役の子役まで一緒で、しかも脚本はどちらも足立紳。
「これって手抜き?」「どうしてこんなに似てるの?」とモヤモヤした人も多いはず。
でも実はこれ、ただの偶然でもネタ切れでもなく、ちゃんと理由があるんです!!

この記事では、その“似ているようで違う”2作品の背景にあるテーマの進化や業界の事情、そして脚本家・足立紳が仕掛けた“戦略”まで、わかりやすくひもといていきますね。
- 『それ妻』と『朝山家』が「似ている」と言われる理由と構造的な共通点
- なぜ短期間でそっくりなドラマが2本も制作されたのか
- 脚本家・足立紳が作品に込めた意図と“足立ユニバース”の全貌
- 2作品が描き分ける「失敗の物語」と「成功の物語」の違い
それでも俺は、妻としたいとこんばんは朝山家ですが激似すぎる件
2025年7月、ドラマ好きの間でざわついたのが『それでも俺は、妻としたい』と『こんばんは、朝山家です。』の“激似”っぷりです。
放送時期も内容もキャストも被っていて、「これってどういうこと?」とSNSは大騒ぎ。
でも実はこの2作品、ただの偶然じゃないんです。



ここでは、まずこの2作品がなぜそんなに似ているのか、そしてどういうところが似てると話題になったのかを、ざっくり紹介していきますね。
ストーリー・キャラ・設定まで酷似?ざっくり紹介
結論から言うと、この2つのドラマは「登場人物の構成」「家庭内の空気感」「セリフの生々しさ」など、かなり多くの部分が被っています。
どちらの作品も、売れないor売れっ子の脚本家の夫と、ぶっちゃけ言いたい放題の妻、ちょっと手がかかる子どもたちの3人家族。
さらに、夫婦の口論、夫の自己嫌悪、息子との不器用な関係…って、まるで同じ話を見てるような感覚になるんです。
「ここまで似てると、さすがに笑っちゃうレベル」って声もよく見かけました。
でも、似ているのにはちゃんと理由があるんですよ。
その理由を詳しく掘っていく前に、まずは視聴者たちがどこに注目して“激似”と感じたのか、リアルな声をチェックしてみましょう。



次はSNSでの反応をまとめて紹介します!
視聴者がざわついたSNSの声まとめ
SNSでは放送開始直後から、「え、これって『それ妻』じゃないの?」という声がめちゃくちゃ多く見られました。
たとえばこんなツイートが目立ちました。
- 「また脚本家の夫と、キレる妻と、ちょっと変わった息子…。デジャヴすぎる」
- 「え?息子役もまた嶋田鉄太くん?!ガチで同じ家族設定なんだけど」
- 「これ、同じ作者じゃないと無理な一致率じゃない?」
とくに、“同じ子役を使ってる”ことにはみんな驚きを隠せず、「制作陣、絶対に確信犯」とまで言われてました。
しかも、『それ妻』のほうでは実際の自宅をロケセットにしていたという裏話まで話題になり、「これもう実話やん」と半ばドキュメンタリー扱いする人も。
でも、ただ似ているだけじゃなくて、「同じテーマを違う形で見せてくれる面白さがある」っていう肯定的な声も意外と多かったんです。
ここからは「なぜこんなに似てるのか?」という根本的な理由に迫っていきますね。



次は、制作の裏側にある“意図”を深掘りしていきます!
「それ妻」と「朝山家」なぜこんなに似てる?その理由に迫る
ここまで読んで、「さすがに偶然じゃなくない?」って感じている人、多いと思います。
実は、この2作品がここまで似ているのには、ちゃんとした“意図”があるんです。
それは「同じ人が書いてるから」だけじゃなくて、クリエイターの人生や、放送業界のビジネス的な背景がガッツリ関わってるから。



ここでは、作者・足立紳の視点とテレビ業界の戦略、両方から「似すぎ問題」の真相を深掘りしていきます!
同じ脚本家・足立紳が描く“2部構成”の戦略
まず、この2つのドラマ、どっちも脚本を書いたのは足立紳さん。
そしてこの人、自分の人生をそのまま作品にしてる“超・自伝型”作家なんです。
『それでも俺は、妻としたい』は、売れない脚本家時代の話。
『こんばんは、朝山家です。』は、そのあと売れっ子になった今の話。
つまり、同じ世界観で“過去編”と“現在編”を描いたってことなんです。
しかも本人が「主人公は自分そのもの」と公言してたり、実際の家を撮影に使ってたりと、もはやフィクションとリアルの境界があいまいすぎる!
だから内容が似てるのも当然で、むしろ「セットで観るとめっちゃ味わい深い」っていう、2部構成の戦略だったんです。
この構成を知ると、「似てる=手抜き」どころか、「似てて当然。そしてそれが面白い」って思えてくるから不思議ですね。



次はテレビ業界的な“裏事情”にも注目してみましょう!
深夜枠とプライム枠、それぞれの役割とは
もうひとつ大きな理由が、放送枠と制作陣の違いです。
『それ妻』はテレビ大阪・BSテレ東の深夜ドラマ。
『朝山家』はテレビ朝日の全国ネット、日曜22時という超ゴールデン枠。
放送時間もターゲットも全然違うんです。
深夜枠は「自由度が高くて挑戦的な作品が作れる」のが魅力。
一方、プライム枠は「幅広い層に届くように洗練された作品」が求められます。
だから、同じ“足立作品”でも雰囲気やトーンは微妙に違うんですね。
しかも制作会社も違うので、それぞれ独立したプロジェクト。
だけど、『それ妻』がTVerなどでバズってヒットしたから、『朝山家』が「いける!」ってなった可能性は大いにあるんです。
つまり、テレビ局的には「一度ヒットしたテーマを違う視点で焼き直す」っていう、めちゃくちゃ戦略的な動きだったんですよ。



次は、その2つの作品を実際に比較して、どう違ってどう繋がってるのか、もっと細かく見ていきますね!
「それ妻」と「朝山家」2つのドラマを徹底比較してみた
ここまでで「似てる理由」は見えてきましたが、「それでもやっぱり違いも知りたい!」って思いませんか?
実はこの2作、同じようでいて、設定も視点もかなりハッキリ分かれているんです。
特に注目してほしいのが、「どの時代の自分を描いているか」と「作品が目指してる視聴者層の違い」。



ここでは、2つの作品を比較して、似ている部分・違う部分をしっかり整理していきます!
設定・キャラ・原作・視点の違い
まずは基本情報を比べてみましょう。
項目 | それでも俺は、妻としたい | こんばんは、朝山家です。 |
---|---|---|
放送時期 | 2025年1月〜3月(深夜) | 2025年7月〜(プライムタイム) |
放送局・枠 | テレビ大阪/BSテレ東 | テレビ朝日系列 |
原作 | 足立紳の2019年刊行小説 | 妻・晃子と共著の日記連載 |
主人公の状況 | 売れない脚本家 | 国民的脚本家(成功後) |
家族構成 | 妻&息子(少し複雑) | 妻&息子(構成は似てる) |
撮影ロケ地 | 足立家の“本物の家” | 再現されたセット |
キャラのトーン | 限界寸前のリアルな夫婦喧嘩 | 軽やかだけど根は深い夫婦劇 |
この表からも分かるように、テーマは似ていても、切り取ってる“人生のフェーズ”が違うんです。
前者は「過去の苦しみ」、後者は「今ある成功の裏側」。
つまり、同じ人物を描いてるけど、見る視点が180度違うということですね。
この“視点の変化”が、作品の見え方を大きく変えてるポイントです!



では、似てるようで決定的に違う「あること」について、さらに深掘りしていきましょう。
同じでも、ここが決定的に違った!
一番の違いは、「生々しさの度合い」です。
『それでも俺は、妻としたい』は、自宅をそのまま使った撮影だったこともあって、リアルすぎてちょっと息苦しくなるくらいの“ドキュメンタリー感”があります。
逆に『朝山家』は、セットで再現されている分、どこか“ドラマらしいリアリティ”。
エンタメとして見やすく調整されてるのがわかります。
それはつまり「観る人の幅を広げるための工夫」なんですよね。
テーマ自体はどちらも「夫婦のギスギス感」なんだけど、伝え方が全然違うから、受け取る印象も変わってくるんです。
「こっちは苦しみ」「あっちは軽妙な皮肉」といった感じで、同じ料理でも味付けを変えているイメージ。
だから「似てるけど飽きない」「どっちも面白い」ってなるわけです。



次は、その“味付け”を生み出している作者・足立紳の作家性について、もう少し掘り下げてみましょう!
結局、なぜ「それ妻」と「朝山家」の2作品が生まれたのか?
ここまで読んで「似てる理由」も「違い」も見えてきたけれど、やっぱり気になるのは「じゃあ、なぜこの2つを短期間で作ったの?」という根本の疑問。
偶然?手抜き?自己模倣?…どれも違います。
実はこの2作、かなり計算された戦略と、作家・足立紳の生き方そのものが背景にあるんです。



最後に、この一連の“足立パラドックス”が生まれた理由を、しっかりひも解いていきます。
戦略としての“二連ドラマ”だった!
この2つのドラマは、まるで「表と裏」「過去と現在」のように連なった関係になっています。
『それでも俺は、妻としたい』では、売れない脚本家の苦悩を深夜枠でリアルに描き、『こんばんは、朝山家です。』では、成功後の苦悩をゴールデンタイムでユーモラスに見せる。
これは単なる「似た話を2つ作った」わけじゃなく、最初から“2部作構成”だった可能性が高いということ。
しかも、ニッチな深夜枠 → マス向けプライムタイムという流れは、あきらかにビジネスとしての「実績→拡大戦略」を意識しています。
つまり、足立作品を“ブランド”として育てるプロセスそのものだったんですね。
さらに息子役に同じ子役を起用したり、1作目では“本物の家”、2作目では“再現セット”を使うという演出上の工夫も、「この2つはつながっている」と明確に伝えるメッセージだったと言えます。



この流れ、偶然ではなく、かなり練られた戦略だったことがわかります。
足立紳という作家の“人生そのもの”だった
もっと言うと、この2作品は単なる「戦略的コンテンツ」ではなく、足立紳という1人の作家の“人生の記録”そのものなんです。
なぜなら、どちらの作品も“彼自身の体験”がベースになっていて、それを本人とその妻が「ほぼ実話」と認めているから。
そして実際、足立夫妻はインタビューで「セリフはリアルに言ってることばっかり」と語っていて、
作品の根っこが“家庭”であり“人生そのもの”であることは明白です。
しかも制作サイドは、その私生活を“IP(知的財産)”としてプロデュースしている。
つまり、ドラマを作っているのではなく、「足立紳の人生」という一つの物語宇宙を売っているんです。
これは脚本家が“キャラクター”ではなく、“作品”になるという新しいスタイル。
いま、もっとも現実とフィクションの境界を揺るがしている例と言えます。



次は、この記事を読んだ人が気になりそうな疑問にお答えするQ&Aに進みます!
「それ妻」と「朝山家」に関するよくある疑問Q&A
「それ妻」と「朝山家」について気になることがあるって方も多いと思うので、ここでは2作品についてよくある疑問とその回答を掲載していきます。
- なぜ似た2作品を短期間に放送することになったの?
-
深夜枠で話題になった『それでも俺は、妻としたい』が成功したことで、足立紳の作家性が“ブランド”として評価されました。
その流れを受けて、大手ネットワークが“成功後バージョン”として『こんばんは、朝山家です。』を制作したという流れです。
これは偶然ではなく、意図的な戦略です。 - 2つのドラマ、どちらから観た方が楽しめる?
-
どちらからでも楽しめますが、時系列としては『それでも俺は、妻としたい』が“過去編”、
『こんばんは、朝山家です。』が“現在編”にあたるので、前者から見ると理解が深まります。
2部作的に味わえる構成になっています。 - 同じ子役を起用したのはどうして?
-
意図的に“2つの作品が同じ世界線にある”ことを示すためと考えられます。
息子役の嶋田鉄太さん自身が「ほぼ実話」と明言しており、
視聴者に「これは1つの作家の人生を追うシリーズなんだ」と伝える強いメッセージになっています。 - 作者の足立紳さんって、なぜ自分の家庭をこんなに作品にするの?
-
足立紳さんは、自身の人生を赤裸々に描く作風で知られていて、それが“足立ユニバース”というブランドになっています。
本人も「限りなく自分に近い」と語っており、リアルであることが作品の魅力として受け入れられています。 - 『それでも俺は、妻としたい』と『こんばんは、朝山家です。』は全くの別作品?
-
別作品ではありますが、同じ原作者・同じ構造・同じ世界観で描かれています。
あえて“似せて”いる部分もあり、違いを際立たせることで“変化”や“成長”を感じさせる仕掛けになっています。
まとめ:それ妻と朝山家が“同じに見える”理由を深掘りして分かったこと
今回の記事では、『それ妻』と『朝山家』がなぜこれほどまでに似ているのか、その裏側にある理由を徹底的に探りました。
以下がその要点です。
- どちらも脚本家・足立紳が手がけ、自身の人生をベースに描かれている
- 『それ妻』は「売れない時代」の苦悩を描き、『朝山家』は「成功後」の苦悩を描いている
- 撮影場所やキャスト(特に子役)も意図的に重ね、2作品をつなぐ“足立ユニバース”を構築
- 深夜ドラマとプライムタイム、それぞれ異なる市場戦略に基づいた制作である
つまりこの2作は、ただの“似たような話の再利用”ではなく、足立紳が自らの人生を2つの時期に分けて描いた連続した人生の物語だったというわけです。
この視点を知ることで、2つのドラマを観る楽しみ方がぐっと深まります。
まだ片方しか観ていないなら、もう一方もぜひチェックしてみてください。
きっと「ああ、そういうことか」と納得できるはずです。、テレビ業界の戦略が交差した“必然”だったんです。



記事を読んで興味が湧いたら、改めてそれ妻と朝山家を見比べてみるのもおすすめです!
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